昔、本を読んで私の心にグサっと刺さった一言を紹介します。
手や顔は洗うのに心は洗わないの?
『えっ、心って洗うものなの?』
今日本国民が思いを一つに感染対策に努めています。
・他者との接触を8割削減
・こまめな手洗い
・マスク着用等々
一人一人にできることを実践することは必ず結果になると信じています。
顔や手足の汚れと心の汚れ
目に見える汚れはお風呂に入ったり手を洗ったりしやすいかと思います。目に見えないウイルスでさえ「汚れたかも知れない」と思いきれいにするように心がけていることでしょう。
では心の汚れはどうでしょうか?
心に汚れがあるかと言われても、心の汚れは目には見えないものです。抽象的で目に見えないから説明を求められてもうまく話せないこともあろうかと思います。「”心の汚れ”なんて綺麗事でしょ」と思われる方もいるかと思います。
こんな経験はどうでしょうか。
純粋無垢が絶対的に良いかと言われれば絶対的ではないことは理解しつつも、赤ちゃんや幼児の純粋無垢な言動に心が洗われた経験をした方は多いのではないでしょうか。「自分の心は大人になるにつれて純粋無垢じゃなくなったなー」と思う方もいるかも知れません。
心は汚れるのではなく様々な経験・体験によって垢のようなものがついてくると言った表現の方が私はしっくりきます。
必ずしも大人になるための経験や体験の全てが汚れではなく、自分の心を強くしてくれるバリアみたいなものもついてくると思います。心の垢はバリアのような良いものもあれば汚れのような悪いものもあるのではないかと思います。悪い汚れは落としたいですよね。
自分自身で心を洗うことはどのようにすることなのか知りたいところです。禅では坐禅や日々の生活そのものが心を洗う作業だと説いています。
自分自身を見つめ直す『内省』
stay homeのお家時間をどのように過ごすのか。内省の時間に当ててみると心を洗う作業が感覚的に理解できます。
自分はどんな本で感動するのか、どんなニュースに興味があるのか、どんなことで笑うのか、どんなことで嫌な気持ちになるのか、気付いたことをメモするだけでも内省の時間であり、心を洗う作業につながるかと思います。
自分を知ることで、自分はどうなりたいのか、どうしたいのか、なんとなくで良いので自分と向き合う時間が自分を知るうえで大切な時間である、という禅の教えです。
まとめ
目に見える部分の汚れは、手洗い・うがいで感染予防に努める。
目に見えない心の垢は、自分を守るバリアのような良いものも有れば、汚れのような悪いものもある。
心を洗う内省時間をとることできれいにリセットしていきましょう。
「お酒が飲みたい」「外に出かけたい」「ライブに行きたい」
私の内省時間は欲だらけでした。これは内省とは言えないですね。内省ではなく、内緒(ないしょ)ですね。