『極めた人ほど謙虚であれ』禅の言葉ー百不知百不会ー

先日「禅」の本を買いました。興味本位です。読み進めていくと、これがとても面白い。禅の言葉って奥深さが感じられます。奥深いなぁーと感じた部分を自分の頭の整理を含めてまとめていきたいと思います。取り入れたい部分が少しでもあればご活用ください。

百不知百不会とは

禅では「百不知百不会」の心構えをよしとしています。聴きなれない言葉ですが、どういう意味があるのでしょうか?

宋代の無文禅師の言葉。
「百不知百不会」
(ひゃくふちひゃくふえ) 
 ↓
「何も知らず、何も理解せず」という意味。

「何も知らず、何も理解しない」

言葉の意味をそのまま捉えると、何も知らない人、何も理解しようとしない怠け者。と思う人は多いでしょう。

そのような人を禅ではよしとされるのでしょうか?

禅によるこの言葉の真意は、悟りを得ても、まるで何も知らない役立たずの人間のように超然としていること。とされています。

たしかに一流の人に共通することは「おのれに謙虚である」ことが挙げられます。長い年月をかけてトレーニングや勉強に費やし、ようやく頂点に到達したときの喜びは我々の想像を超えます。

嬉しくて叫びたくなるのか。周りに自慢したくなるのか。

しかし頂点を極めた人のインタビューや取材の言葉には、「おごり」や「傲慢」な言葉はありません。

一流の人は「百不知百不会」の心構えができているのです。

「味噌の味噌くさきは上味噌にあらず」

という言葉もあるように、正しく熟成されたものはくさみもありません。

人も同じように、自分の力や知識をひけらかすだけの人は自分に自信がない表れかもしれません。自信のなさくさみとなってしまいます。

正しく熟成された大人になるためにも、常に謙虚な姿勢で利口ぶったり道徳家ぶったりしないようにしていきたいですね。

知識を得た時こそ、味噌くさくなっていないか自分の匂いを嗅いでいきましょう。

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私はというと、うん、ちょっと漬物の匂いがする。