自分の心のクセ
私は以前からポジティブが良いもの○、ネガティブが悪いもの×として捉えていました。ですので○か×を考えた時に常に○を選んでいました。当然○の方が×よりも良いと思っていたからです。おそらく○か×の2択であれば、大抵の人は○を選ぶでしょう。でもそれって、考えて選んでいるようで考えていないのではないかという風に思い始めました。○か×だったら○を選ぶのは当然です。○は良いもの×は悪いものという価値観の人であれば、当然○を選びます。そのような価値観であれば、実は2択のようで選択肢は1つだったのです。
どのような大人になってほしいか
あなたは自分の子供が将来どのような
大人になってほしいと思いますか?
「自分で考えられる大人になってほしいです。」
私だったらこう答えると思います。
自分で考えられる大人。
あれ?
今、私は自分で考えられているのだろうか。2択と言いながらも答えは決まっているので、1択になっていないだろうか。そもそも良い悪いの判断は、自分の価値観のみの判断ではないだろうか。自分自身ができていないのに子供に求めていたのでは・・・。
ポジティブ思考とは
そんなことを思っていた時に出会った言葉。
○か×で見る心のクセを変える。
ポジティブ思考・ネガティブ思考で考えてみます。私はポジティブ思考が良いと思っていました。ポジティブ思考は
○の良い側面のみを考え選択する思考
×の部分は選択せずに○の部分に着目する思考
だと思っていたからです。
そうすることで人生が幸せになるのではないかと思っていたのでポジティブ思考が良いとずっと思っていました。しかし先ほどの言葉を思い出し、○か×で見る心のクセを変えてみました。すると本当のポジティブ思考の意味が分かってきました。
【私が考えるポジティブ思考】 ○の部分と×の部分が存在することを 自分の中で受け止め ×の部分から目をそらすのではなく ○も×もあるけど 「まあよしとするか」という選択をすること
が本来のポジティブ思考だと思い始めました。
自分の取りたい行動は
じゃあ、私はどうありたいのか。○か×だけでなく△も□もあるよね。と選択肢を増やし、良いか悪いかの人生ではなく、良くもあるし悪くもあるしと思えるかどうか。かなと思います。その上で、まあ良しとするかと判断していきたいと思います。もっと悟りの世界にいる人は
「良いか悪いかではなく良かったと思えるかどうかが重要だ。」
と言います。この言葉の真意は、物事を決める前に考えて立ち止まるよりも行動したあとに湧いてくる感情を大事にせよ。という教えです。もっともっと悟りの世界にいる人は
「自分が良かったと思うかではなく(自己的) 人のためになったと思うかどうかだ(利他的)」
という人もいます。うーん。なにが正解か不正解か。あっ!いけない。また正解(○)不正解(×)で考える心のクセが出てしまった。なかなか難しいものですね。ただ、良い○悪い×の二元論で考えていた頃に比べるとずっとずっと心が楽になりました。自分の置かれている立場や人間関係仕事に置き換えて考えてみると、自分なりの答えが見えてくるかもしれませんね。